「かしこい人」が難しい言葉を使う理由

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本を読んだり、テレビを見たりしていると、学者さんや政治家、コメンテーターたちが難しい言葉を使っている場面に出くわすことがよくあります。

ぼくは以前、彼らがどうして難しい言葉を使うのかを疑問に思っていました。もっと簡単な言葉を使えば、読者や視聴者の理解が得られるだろうに、と。

仮に彼らの目的が「おれ(わたし)は、こんなに難しい話をできるんだぞ!」とアピールすることであるなら理解できなくもないのですが、どうもそれだけが理由だとも思えません。

大学に入ってから、さらにその思い(疑念?)を強めることになりました。

授業をしてくださる教授たちの話す言葉というか話すスタイルというか、そういうものが難解だったのです。端的な例は思いつかないのですが、何というか、日常の会話から少々離れた話し方をするわけです。

そこは授業の時間なのですから、教員方の目的はぼくたちに対してマウンティングすることではなく、教えることのはず。そのことにやる気を持っているか否かは別にして。

それなのに、どうして分かりにくい言葉を使って、分かりにくい話し方をするのだろう? そう思わざるを得なかったのです。

ですが、あるときその理由に気が付きました。

気が付いたタイミングは、昼休みに友達とご飯を食べていたときです。友達と取り留めのない会話をしていると、その中で出てくる言葉が「難しい言葉」にあふれていることに気が付いたのです

もちろん、そのとき自分たちは「難しい言葉を使ってやろう」との意気込みのもとに会話をしていたわけではありません。ただシンプルに仲の良い友達との会話を楽しんでいただけです。

つまり、自然に「難しい言葉」が口から出ていたということです。

これはどうしてだろう?とぼくは考えてみました。そうして思い当たったことを以下に箇条書きしてみます。

話したい概念・テーマ自体が難しいものだったから、難しい言葉を使うことを避けられなかった。

・勉強していく中で、自分たちは「難しい言葉」に慣れてきていて、それを難しいと思う感覚が麻痺していた

・勉強していくときに読んだり聞いたりする資料は「難しい話し方」で構成されていた。だから自分たちは、難しいテーマについて簡単な言葉で考え、話すことに慣れていない

・勉強で使われる「難しい言葉」は簡単な言葉で言うと長くなるものをまとめたものであることが多い。

どれもこれも勉強していくにつれて生じてきた問題です。

勉強を進めていくにつれて、興味の対象が「難しいモノ」に移っていくので、どうしても「難しい言葉」が出てきます。学者さんたちの場合は、この傾向がぼくたちのようなしょうもない大学生の何倍も強いはずです。

その「難しいモノ」を説明する言葉も通常は「難しい」ので、簡単な言葉で説明するのは中々骨が折れます。この作業は、「難しいモノ」の本質を捉えられていないことが多い学び始めの人にとって特に大変だと言えるでしょう。

それなら逆に、勉強をさらに進めた上級者なら本質を理解しているだろうから、「難しいモノ」であっても簡単な言葉で説明できるのでは?という発想が出てくるかもしれません。

しかし、そこには別の落とし穴があるのです。

それは、箇条書きの2番目にあるものです。つまり、上級者は「難しい言葉」に慣れて、それを難しいと思う感覚が麻痺しているのです。

だから、彼らも初級者とは違う理由で、「難しいモノ」を簡単に説明することに関して問題を抱えています。

その落とし穴に気が付いている人の前にも、さらなる壁があります。

それが箇条書きの最後に書いたことです。簡単な言葉で説明しようとすると、「難しい言葉」を使うのと比べると格段に疲れる作業になるのです

そのことはレベルを落として考えてみれば分かると思います。例として、卵焼きの作り方を説明することを考えてみてください。

まずは、普通の説明をしてみます。

まずは、卵・塩・砂糖・醤油を準備します。
それから、卵をボウルに割って入れ、菜箸を使ってよくかき混ぜます。
塩、砂糖、醤油をここで加えます。
フライパンにごま油をしいて、そこにかき混ぜた卵を入れます。
フライパンにくっつかなくなってきたら、ロール状になるように卵を巻いていきます。
完全に巻き終わったら完成です。

まぁ、おおよそこのような説明になるでしょう。では、次に新たなルールを加えてみようと思います。そのルールというのは、卵・塩・砂糖・醤油・ボウル・菜箸などの言葉を使ってはいけないというものです。

その制限がある状態で説明してみると・・・・・・

まずは、鶏のヒナの元となるものを殻で包んだ楕円形の物体と、海水を蒸発させたときに残る白い結晶と、サトウキビから採れる甘い粉と、大豆を発酵させてできる・・・・・・

材料を説明する段階でこれです。もう嫌になってきませんか?

難しい概念・テーマを一般にわかるような言葉で説明しようと考えたとき、レベルの差はあるものの本質的にはこれと同じ面倒が生じます。

その面倒さが、また一つのハードルになります。

こうして考えてみたとき、難しいテーマを分かりやすく話す人に対する見方が変わりました。彼らはとても深い理解をしているうえに、簡単な言葉にかみ砕くためにかなりの労力を投入してくれているわけです。

逆に、やたらと難しい話をする人がいる場合は、その人が深い理解と簡単な言葉にする努力をしていないという可能性があると言えるでしょう。

ただ、そのテーマが難しすぎて、どう頑張っても簡単に説明することが不可能であることもとても多いです。その可能性も考えてあげてるべきでしょう。理不尽に責めないようにするために。

一応結論も出てまとまったようなので、終わりにしようと思います。自分で書いていて、「こんなの誰が読むんだ?」との疑問はありますが・・・・・・

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