京大に入ってから学んだこと【①疑うこと②英語の重要さ】

大学
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大学に入れば、自分の意思次第で学びの選択肢がとっても広がります。

高校のときはどうしても大学受験を意識せざるを得ませんから、その幅の中での勉強になるのと対照的だと思います。

大学では専門的な授業があるだけでなく、自由にできる時間がたっぷりあります。ホントに自由にできるからこそ、使い方を間違いがちなんですけど……。

まぁそんな大学という環境で三年間過ごしてきて学んだことをここで共有したいと思います。学んできたことというのは、授業に限りません。全部です

何かの参考になれば嬉しいです。
例えば、高校生の皆さんが大学での学びのイメージを持ってくれる、とか。

疑うこと

もし、「京大に入ってから学んだことで、あなたにとって一番大切なことは?亅と聞かれたら、ぼくは「疑うことです」と答えます

それから始めましょう。

根拠が乏しい話を疑うこと

根拠が乏しい話というのは、至るところにあふれています

〇〇を飲むだけで痩せれます

一日一分〇〇を続けるだけで

こんな感じで明らかに根拠がなくて怪しいものなら分かりますよね。

だけど、世間に流れる根拠のない情報というのはこういうタイプのものだけじゃありません。一見説得力があって正しいように思えるものもあります

その中でぼくが特に注意するようにしている種類のものがあります。

それは、一般にポジショントークというものです。何のかの分野で成功した人が、自分の体験をもとに発信する情報とも言い換えていいでしょう。

この種類の情報には、ためになるものもたくさんあります。
何と言っても成功した人の体験がベースですから、何かを始めようと思ったときに、彼らの話を聞くのはいい方法です。

しかし、それを100%吸収すればいいかというと、そうではないでしょう。
このタイプの話には、自分の体験のみに基づいていて、客観性に欠ける場合があるからです

自分の場合はこうだった、これが絶対の答えではないけどね、と言う分にはいいのです。
だけど、(自分の場合はこれで上手くいったから)これが正しい方法だ、と断言するパターンも見られます。

これが、「説得力はあるけれど注意してみれば客観的な根拠が全くない」と言う、ダメな場合ですね。

あ、もっとダメな場合は他にありました。

それは、ある分野で成功した人が、別の分野のことに持論を根拠もなしに展開することです。

何かの分野で成功した人には社会的な信用度みたいなものがありますよね。

だから、彼らの発言はもっともらしく思えます。
それが根拠があるかどうか?とか、彼らの専門分野か?といったチェックが緩くなりがちですからね。

仮に、偉大なプロ野球選手が経済に関してもっともらしいことを言っていたとしましょう。
有名な経営者が医療のことに意見していたときでもいいですね。

ぼくはそういう場合は普段より注意して聞くようになりました。
「専門家じゃない人は勝手に言うけどなぁ………」と教授たちが授業で言っているのを聞いてきたからなんだと思います。

根拠があっても疑うこと

さらに、ぼくは根拠があっても疑うようになりました
つまり、ある意見を正しいと示すデータや実験結果があっても疑うということです。

行き過ぎだと感じるでしょうか?

そう思った人に知ってほしいことが二つあります。

一つは、データや実験結果は調整が可能だということです。
世界的に権威のある科学誌にのった論文でも捏造がないとは言い切れません。
それに捏造しなくても、実験の条件や期間を工夫するという手法もあります。

STAP細胞事件は未だに印象深いと思います。

もう一つは、データなどが完全に正しくても結論が間違っている場合があることです。これをぼくは「確率統計亅などの授業で学びました。

データがあっているのに結論がダメなことなんてあるの?

ええ。それがあるのです。
こういう例を考えてみてください。

ここに、足の大きさが大きくなればなるほど英語力が高いというデータがあったとしましょう。変なデータですが、実際にそのようなデータを取ってくることは容易です。

そのデータを元に、足が大きい人は英語が上手いと結論づければどうでしょう?
変な感じがしますよね。

どうしてこんな結論になってしまったのでしょうか? 

そのカラクリは、「年齢が上の人ほど英語の勉強をしている傾向がある。だから英語力が高い」という本当の原因を見落としていたことにあります。

これは「相関関係」と「因果関係」の区別が不十分だったと説明することができます。関係があるだけで原因と結果の繋がりがあると言ってはいけないということです。

世間にはこういう種類の情報も溢れています。そういう情報に騙されないために根拠があっても疑うことを学んだということです。

英語

学んだことの中で、疑うことの次に来るのは英語に対する考え方ですね。

これも二つのポイントに分けて書いていきます。

英語が話せるのは別に大したことじゃないという感覚

大学に入ってから、英語に触れる機会がグンと増えました。
ホントに増えました。

英語で行われる授業もあるし、昼飯を食べていたら隣に座っているのが留学生だったりします。
京都の街には観光客が多いので、そこで英語を聞くこともあります。
何ならたまに話しかけられることもあります。

最近だと、スーパーで「厚揚げというのはこれで合ってるの?」みたいなことを聞かれました。

その人は薄揚げを持ってそう言っていたので、「それではないですよ」ということを伝えました。

それからYouTubeを見る時間が増えたのも大きかったです。

Youtubeを見ていると、英語圏ではない国でも英語を話せる人が多いなぁと気がつきます。
それを見ているとやっぱり「英語が話せるのって別に普通のことだよな」という印象が強まります。

内向的で、外国人との交流に消極的的なぼくでさえこうなんです。
積極的にコミュニケーションを取ろる人なら、英語に触れる機会がもっとあるはずです。

こんな環境にいるから、「英語が話せるのって、別に変わったことじゃないよな」という感覚になってきているんですね。

英語の必要性、あるいはアドバンテージ

勉強が進んで行くと、英語が必要になる場合が出てきます。

大学院生になると論文を読まないといけないそうですけど、それが英語なんですね。

ネットで検索をかけるときも、日本語の情報は質が悪いから英語で検索しないといけないという場合があるようです。英語の情報は日本語の情報の10倍以上あるそうですよ。

それに就職の際には英語が武器になると聞きます。海外での勤務なら国内勤務より高給になる傾向もあります。

これは英語のアドバンテージだと思います。

これらは大学で学んだというよりも、企業の人から話を聞いたり、YouTubeで知ったりした面が大きいんですけどね。

あとがき

以上が「ぼくが大学に入ってから学んだこと」です。

まぁ物理化学がどうだとか、数学がどうとか、個別具体的に言うともっと長くはなります。今回はそういった「技術・知識」的内容よりも「考え方」的な内容を書くことにしました。

高校のころの自分ならこういった情報のほうが嬉しいだろうな、というのが理由です。

これが誰かの参考になったり、モチベーションになったりすると嬉しいです。

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